こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
先週は11月3日が封切りだった東宝映画『ゴジラ-1.0』を見てきました。
いやー、面白かったです!
間延びした部分がなく、主人公を演じた神木隆之介も良かった。
NHKの朝ドラ『らんまん』での好演も記憶に新しいですが、同じような役どころを演じたのも浜辺美波。どうやらこの二人の組み合わせは東宝によると『ゴジラ-1.0』の方が先だったようです。
ゴジラ70周年記念作品となる本作。
時代設定は、1954年の第1作『ゴジラ』が第二次世界大戦から9年後だったのに対し、今回の『ゴジラ-1.0』は戦後間もない日本をゴジラが襲うという設定になっていました。
予告編にも記されていたこちらの文章。
その無(ゼロ)が、負(マイナス)になる。
「零戦の故障」を理由に離島の基地に着陸するのですが、整備班は機体に故障など無いといいます。特攻の命を受けながら迷いが生じたのですね。
さらに着陸した島にゴジラが現れた時、敷島は零戦に搭載された徹甲弾を撃つことができませんでした。そのため基地の兵隊の大半が亡くなり、敷島に大きな負い目を与えました。毎晩、悪夢にうなされるほどです。
敷島のような特攻隊員の話は、じつは私も聞いたことがあります。
話してくださったのは、当時、鹿児島県の知覧で零戦の整備をしていた海見勝(まさる)先生です。
海見先生は私が勤務していた学校法人広島文化学園の創立者で、この話は平成10年頃、直接、先生から伺いました。
海見勝先生は1918年(大正7年)生まれですから、知覧で終戦を迎えられたのは26~27歳。毎日、零戦の整備をし、特攻隊員を見送っておられたそうです。
けれど何機かに一機は離陸してしばらくすると戻ってくるのですね(涙)
点検は十分に直前までしています。故障などあるはずがありません。それでも整備員は一言もそのことにはふれず、もう一度整備をするのだそうです。
私はこの話に胸が締め付けられました。
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
※知覧特攻平和会館HP「航空特攻作戦の概要」より引用
https://www.chiran-tokkou.jp/summary.html
知覧からは439名もの方が出撃されています。この特攻作戦は、米軍が沖縄に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まったそうですから、終戦まで半年足らずの間にこれだけの方々を海見先生は見送られたことになります。
海見先生は戦後、亡くなった方々への鎮魂を胸に、若い人たちを育たいという使命感から昭和39年に広島文化女子短期大学を創設されました。
当時の写真を見ると、敷地内に一棟、被服学科の校舎(被服科定員100名)が建っています。
海見先生は毎朝一番に学校に来て、全室の窓を開け空を見上げて祈りを捧げたそうです。
海見先生は2015年に97歳で天寿を全うされましたが、今では海見勝先生のことを知る教員は(新旧交代が進行中)4キャンパス7学科で10人もいないかもしれません。
そんなこんなの『ゴジラ-1.0』でしたが、ゴジラはやはり劇場で見るに限りますね。
大迫力でしたが、やはりハリウッド版のゴジラとは違って、日本版ならではのノスタルジーがあります。
記念にクリアファイルを買って帰りました。
ゴジラが立体的に浮き出ていて、結構気に入っています。(3Dクリアファイル¥660)
映画は125分と長すぎず、短すぎずでちょうど良かったです。
東宝映画だけに、エンドロールがすべて日本語なのも親近感が湧きました。
この映画、まだご覧になっていない方は、ぜひ、エンドロールは最後までご覧になってくださいね。
思わぬサプライズがありますよ♪