こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
この時期、多くの大学や短大の学生さんは、卒業研究や卒業制作の追い込みがやっと終わった頃ではないでしょうか。
私が非常勤で行っている広島文化学園でも、コミュニティ生活学科(短期大学)のファッション系セミナー生による第24回卒業制作ファッションショーが学内の講堂で行われました。
コロナ禍で今回も家族や学内関係者に限定しての開催です。
広島そごうとメルパルクへ寄り道
15時からのショーまで時間があったので、広島文化学園行きのバスを待つ間、広島そごうとメルパルクに寄ってみました。
広島そごうは全フロア【改装前の売り尽くしSALE】で、日曜日ということもあり、売り場はお客様でごった返していました。土日がいつもこんな状況だったら百貨店も苦戦しなかったでしょうに。
今では「家族で楽しめる場としての役割」を完全にショッピングモールに取られてしまいましたね。
とはいってもそこは百貨店。ファッションフロアの心意気というかプライドでしょうか、色鮮やかなディスプレイやポップアップストアなど、楽しめるコーナー作りはさすがでした。
写真はドゥーブレメゾンというブランドのものです。
大胆な色柄のコートやブルゾン、バッグやアクセサリーに目を奪われ、思わず近寄って見ていたら、、、
すかさず店員さんが寄ってきて、私のスカートとネイルを見て「グリーンがお好きなのですか?」と話しかけてこられました。
はじめは何を言っているのか意味が分からなかったのですが、どうやら私が履いている黄緑のスカートのことらしい(笑)
その時のスタイルがこちら。
ピスタチオのようなグリーンで、確かにグリーンですが、いかにもな緑ではないのでピンときませんでした。
ネイルもスカートに合わせて黄緑にしていたので、店員さんとしても「グリーンがお好きなのですか?」になったのでしょう。
店員さんとはその後、商品の話を少ししましたが、バスの時間もあったので売り場をあとにしました。
文化短大行きのバス乗り場へはメルパルクを通って行きます。先ほどの写真もメルパルクで撮りました。
ずうずうしく通り道にさせていただいていますが、ゆうちょ銀行はよく利用させていただいていますので、メルパルクさんお許しください。
それにメルパルク3階には好きな絵があるので、どうしても通りたくなってしまうのです。
3階のロビーのずっと先(奥)にこの絵はかかっています。
絵には「shirane 」というサインが入っていて、以前、掃除のおじさんから「この絵は〇〇〇万円でメルパルクが購入したものだ」と伺いました。
shiraneというのは調べてみたら大分県出身の白根光夫ではないかと。
白根光夫は臼杵市生まれで(1926-2002)、東京美術学校時代には梅原龍三郎のもとで学んだそうです。吉野の桜をテーマにした「吉野山シリーズ」が有名なようですが、私はこのジャズシリーズが好きです。
絵画がライトアップされると画中のスポットを浴びた部分がより明るく浮き上がり、暗い色調の中で「赤」がひときわ力強さを増します。
省エネのためか最近はライトアップされていることが減り、メルパルクもコロナ以降、厳しさを増しているのでしょう。1階にあったワタベウェディングや喫茶軽食のお店も閉じてしまいました。
壁面の能や地域ゆかりの祭事を現した装飾も素朴な温かみがあり、改めてみると味わい深いです。
こういった作品にはキャプションが添えてあったらなぁと思いました。
コロナ禍で行う卒業制作ファッションショー
お待たせしました(笑)ようやく学校に到着しました。
ランウェーには赤いカーペットが敷かれています。
開演前の様子
音響照明は篠本照明にお願いしているそうです。
学内での実施ですから大掛かりな照明はできませんが、それでもスクリーンの下から、または上からと何パターンかの光の演出があります。
プログラムも、ダンスあり、ピンワークあり、ヘアメイクありと、卒業制作発表の前に1年生も総出演で目を楽しませてくれました。
卒業制作はリメイクが前提で製作が行われました。「ファッションクリエイト」という授業では布地から製作した作品もあったのかもしれませんが、リメイクが主体となっているようです。
昔のように「服を布地から作り上げる」時代ではなくなったということです。
なぜなら学生たちは服作りを学ぶために入学したわけではないから。今では様々な分野の学習ができることがこの学科の魅力となっています。
それを前提にこのファッションショーを見ると、学生たちそれぞれの「カワイイ」が、既製の服をアレンジすることで表現されていることが分かります。
広島文化短大でのファッションショーの歩み
じつは、このファッションショーをやり始めたのは私です(笑)
第21回をもって退職しましたが、最初は今回と同じく、学内の講堂からスタートしました。
その後、出世魚のごとく、広島市まちづくり市民交流プラザ、広島県民文化センターと規模を大きくし、2007~10年頃には、広島県民文化センターでも立ち見が出るほどの規模になりました。
当時はアパレル業界も活気を帯びていて、卒業生の多くが大手のアパレル企業に就職したものです。
ファッションショーの規模は、今思ってもアパレル業界の勢いと完全にリンクしています。
2015年くらいまではアパレル業界もまだ持ちこたえていたのですが、それ以降は業界への志願者も減り、本学でもファッションショーの規模を縮小せざるを得ませんでした。
この期間、広島バックビートでは6年間、ゲバントホールでは3年間お世話になりました。
特に広島バックビートではスタッフのKさんが頼りになる方で、音響から照明、映像まで安心してお任せすることができ、本当に助かったものです。
ゲバントホールの初年度は、照明音響の担当者に問題があり、ショーに支障が出るくらいでした。次年度は担当者交代を条件に同会場で催しましたが、今となっては懐かしいといえば懐かしい思い出です。
ファッションショーはライブですから途中で止める訳にはいきません。神経をすり減らす作業の連続だったと思います。
そんなこんなを21年間くり返してきましたが、退職を機に後任の先生にバトンタッチすることになりました。そこへコロナ禍、後を受けた先生方も大変だったことでしょう。
本来ファッションショーは、卒業後、ファッション業界で製作や販売など、ファッションビジネスの仕事に就きたいと願う学生たちの晴れの舞台でした。
それぞれの思いを「かたち」にするクリエーションの場だったのです。
ファッションショーは学生たちも私も大変ではありましたが、製作も練習も楽しかった!!
最初はミシンを踏むことさえ難しかった学生が「服作るのって楽しい!」と言うまでになったり、最後まで衣装の装飾に悩んでいた学生が休日に学校で作業をしたり、そんな学生たちの情熱があってこそのファッションショーでした。
今となっては古き良き時代のお話です。
ファッションの専門学校は数えるほどしか生き残っていませんし、アパレル業界に就職を希望する学生も激減しました。
「クリエーション」といってもそれがどういうことなのか、ファッションにそれを求める人間が今の世の中、果たしてどれほどいることでしょう。
この問題を退職前の数年はずっと考えていました。
もっと今の時代に合った「学生たちが本当に意義が見いだせる」発表の仕方、内容はないものかと。
私が自発的に始めたファッションショーですが、今は学科の行事として固定化されているとしたら、それはそれで複雑な思いもあります。
今の時代、学生たちが情熱を傾けられることって何なのでしょうか。
それが今回のようなファッションショーであるなら喜ばしい限りです。リメイクといえども「スタイル」を作り出したわけですから立派な「表現」です。
ランウェイを歩く学生たちの笑顔が眩しかったです。
このショーが学生たちの良き思い出となりますように!