大人のおしゃれ塾、田中です。
処分してきた服たち
日本の高度成長期はアパレル産業の成長期でもありました。
洋裁に自信のあった私の母は、私たち姉妹によく服を仕立ててくれました。
どれもデザインはベーシックですが、素材をいかしていて、ポケットやボタンなど、細部にまでこだわりがありました。
そんな母ですが、姉の大学入学時にスーツを仕立てて以来、ぷっつり縫わなくなりました。
理由は聞きませんでしたが「買った方が良い」と言っていたのは覚えています。
生地代や手間を考えると「買った方が良い」となるのは、時代の流れだったと思います。こうして既製服産業は隆盛していきます。
当時はまだファストファッションもなかったので、年に2回のセールは本当に楽しみでした。
今思っても価値ある商品が半額になっていて、納得のいく買い物ができていたと思います。
80~90年代もそういう意味ではまだまだ良い時代でした。
それからの私の人生、どれだけ服を買い処分してきたことでしょう。
実店舗はもちろん、カタログやネット通販で、ⅮCブランドやファストファッションなどを、毎月かなりな数、購入していました。
着ることで経験値は上がったと思いますし、ファッション教師という仕事柄、必要な面もありましたが、それにしても、、、です。
ミニマムでも満ち足りた暮らし
- 「断捨離」やましたひでこ
- 「ガラクタ捨てれば自分が見える」カレン・キングストン
- 「シンプルに生きる」ドミニック・ローホー
- 「人生がときめく片付けの魔法」近藤麻理恵
- 「フランス人は10着しか服を持たない」ジェニファー・L・スコット
2000年代以降、ミニマムな暮らし、シンプルな生き方を提案する本が多く出版されました。
真の豊かさとは何か、幸福感とは、といった問いかけが私たちの胸に去来するようになります。
さらに2013年、バングラデシュの縫製工場「ラナ・プラザ(LANA PLAZA)悲劇」以降、サスティナビリティ、エシカル、フェアトレードといった視点も、環境や人権に関する問題としても浮上するようになりました。
世界的なラグジュアリーブランドが在庫を焼却処分していた、というニュースも私たちを驚かせました。
人類の経済活動が、自然環境の破壊につながること、大量生産が大量の廃棄につながること、そんな現代社会の問題に直面してもなお、安価な製品への誘惑は絶たれることはないでしょう。
安価な製品の存在は「誰もが手に入れることができる」ことを意味します。
ファッションで例えるなら、かつては一握りの特権階級にしか許されなかった「最先端のスタイル」が、今では「誰もが楽しめるものになった」ということです。
その恩恵は、はかり知れません。
コロナ後の世界がどのような方向に歩むのか、今は予測もつきませんが、これまでの消費スタイルへの見直しが、機運として、人々の中で育っていくことを願っています。
胎動のように。