こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
私は今「今日は何を着ようか」と悩むことがありません。
なぜかというと・・・
手術をしてから行けるところが限られていているからです。人との約束もありません。
月に1回は病院に行きますが、それ以外は、近所を歩くか家の近くのスーパーに行くかのどちらかです。
好んでなった状況ではありませんが、はからずも「ミニマムな暮らし」をするようになり、以前より自分に必要な物を選ぶことに迷いがなくなりました。
今日はそんなお話をさせてください。
ミニマムなワードローブ
毎日、上はセーター、下は裏起毛のスエットパンツをはいています。
出かける時はその上にダウンジャケットかハーフコートを着ます。それだけで寒いようなら中に薄手のカーディガンを着こみます。足元はスニーカーです。マフラーとニット帽も着用します。
この中で色物(色みがあるもの)は、ハーフコート(赤紫)とダイソーのニット帽(赤)、ダイソーの毛糸で編んだロングマフラー(からし色)くらいで、あとは全部、黒とグレー(灰色)で揃えています。
家では赤やオフホワイトのカーディガンを着ていますが、色物はこれ以上増やす気はありません。
グレイヘアにしてから黒や灰色が地味にならずに着れるようになった気がします。
そこに赤や赤紫など色みが加わればアクセントにもなって十分楽しめるし満足しています。
ニット帽も「今日はグレー、黒、赤のうちどれにしようか」、スニーカーも「黒とグレーどっちにしようか」と『ちょっとした選択肢』がとても楽しいです。
行動に制限がある私のケースは、誰にも当てはまるものではないかもしれませんが、装い方のひとつの考え方、在り方ではあると思います。
他人の目を意識して装うことの際限のなさ
今まで、短大の教授職にあった頃は「ファッションの先生」という職務上の使命感(大義名分)もあり、それを隠れ蓑に(笑)たくさんの服を購入してきました。
以前のブログに、おしゃれは趣味の一分野、みんなが「ファッショニスタ」をめざす必要はない、と書きましたが、私はもともとは「ファッションが趣味」な側の人間です。
ただ、いつも目新しいものに心を奪われる「際限のなさ」に疑問を感じていたことも確かです。
写真の赤いスカートも、卒業記念パーティーで着用しようと購入したのですが、今、グレイヘア(しかもショート)になってみると全く似合いません。黒髪ロングの時は良かったのかもしれませんが、今の私にはエレガントすぎます。
こんなふうに次々と試着していった結果、着丈のバランスが悪いもの、テイストが合わないもの、手術の傷が見えるものなど、今の私には「しっくり」こなかったものがほとんどで、残念ながら処分しました。
日常着以外の冬物で生き残ったのは数点です。本当にクローゼットがスッカラカンになりました。スッカラカンって死語ですかね?(笑)
ここまで今までの自分が(服が)リセットされると、一体これからどうする?ということになります。
秋から短大での授業を再開するのですが、非常勤講師としてどんなファッションで教壇に立つのか、これからじっくり考えていきたいと思います。
他人の目を意識して着るのではなく、自分と向き合って、自分が心地よい服を選びたい気がしています。
他人軸で考えるのではなく、自分軸で服装を考えることができたら、装うことはもっと自然で楽しいのではないかと。