こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
先週は広島市現代美術館に行ってきました。
広島駅から5番の電車に乗ったのですが現美のある「比治山下」で降りたのは私一人。車内は結構な混み具合だったので3~4人は下車すると思っていたのでちょっとビックリ。
見上げれば空は小雨まじりの曇り空。
誰にも会わないまま黙々と美術館への道を歩きます。このところ体調の悪い日が続いていたので、呼吸を整えながら歩くこと約10分。
到着しました!
それにしても相変わらず人、少ないですね~。
お天気のせいもありますが、来館者は私一人?と思うくらいガラ~ンとしています。
いや、本当に私一人でした(笑)。
広島現美、もっとインスタグラムやエックスでの発信をまめにした方が良くないですかね。
ひろしま美術館や県美と比べてSNSの使い方(更新頻度)が見劣りするように思います。
それでなくても交通が不便なところにある美術館ですから、もっと魅力のある情報提供、PRに注力すべきではないでしょうか。
来館者が増えないと魅力ある(=費用のかかる)企画は打ち出しにくくなる一方です。
この日も私一人への対応で受付を含めてスタッフが十数人いたわけですから、費用対効果を思うと寒くなります。
前回の『アルフレド・ジャー展』はかなり大規模な企画だったので、それなりの集客はあったように見えましたが、あの規模の展示をコンスタントに行うことは地方では本当に難しいのではないかと思います。
私はコロナ前は年に3~4回は東京に行って、森美術館、東京都現代美術館、国立新美術館をはじめ様々な美術館やギャラリーをチェックしていました。
そこで思ったのは、どんな小さなところでも企画でも「東京では人が集まる」ということでした。
広島に戻ってホームに降りた瞬間感じるのはいつも「人、少なっ!」です(笑)。
人が少なくてストレスはないのですが、芸術や文化を育むには資金は不可欠です。いつまでも補助金(助成金?)頼みでは、打ち出す企画に限界があります。地方の美術館の辛いところでしょう。特に現代美術館は。
けれど、現代美術館だからこそ、もっとアートを柔軟にとらえて、例えばファッションショーをあの素晴らしい回廊で行うとか(私も在職中はここでファッションショーをやりたかった!)、、、
コンテンポラリーダンスや演劇を行うとか(コンテンポラリーダンスは過去には行われましたが)、、、広島現美主催のアマチュアを対象とした写真展とか、子ども作品展とか、、、もっと市民に間口を広げた企画を打ち出して、現代美術への敷居の高さを和らげることが出来たらと思うのです。
あと欲を言えば、今のカフェは現代美術館的なイメージにはぴったりですが、親しみやすさには欠けています。
意識高い系にはぴったりですが、価格は高いし、メニューもオーガニックに寄り過ぎていて、何度も足を運びたい気持ちにはなりにくいです。
「展示は見なくてもカフェには行きたい」といったお客様を増やさなくては、こちらも今後、経営が成り立たないのではないでしょうか。(現美自体の集客力が弱いので)
ついつい苦言を書き連ねてしまいましたが、今回も次回の前売り券を購入しました。
応援しています!!
記号と合図の向こう側(ディン・Q・レ)
街中に出現するタイヤを使ったインスタレーション。
こういった思い付きを実行していく(かたちにしていく)マインドそのものがアートだと思います。
シェフィールド公園1985–86秋(エイドリン・バーグ)
使い古したようなキャンバス地に描かれた公園風景。その色鮮やかさと作品の大きさに圧倒されました。1辺が2.8mあります。
以上2点は撮影OKな『コレクション展2023–Ⅱ』からでした。
次からは同時開催中の『ガラスの器と静物画~山野アンダーソン陽子と18人の画家』の作品紹介。
『ガラスの器と静物画~山野アンダーソン陽子と18人の画家』
山野アンダーソン陽子とは、スウェーデンのストックホルムを拠点に活動するガラス作家で、今回の作品展は、山野と画家と写真家のコラボという珍しい企画になっています。
まずは画家が、自身で描いてみたいガラス食器について山野に伝え、、、→それを受けて山野がガラスを吹き、、、
→出来上がったガラス食器を見て画家は絵にし、、、
→それを写真家が画家のアトリエを訪れ写真に撮るという一大プロジェクト!
全部で18名の画家がかかわっているとはそういうことです。
最初は意味が分からず(説明をよく読まなかったので)山野が自身のガラス食器を絵にしたのかと思い頭が混乱しました。自分の作品をさらに作品化するって、と訳が分からなくなったのです。
分かってから見るとアピール度からいうと写真家がいちばん得しているような気がしました。
アートを損得で評するのも憚られますが、せっかくの山野のガラス食器もこの“置かれ方”では良さが伝わってきません。
近寄ってみるとこんな感じ。
やはり写真がいちばんガラスの透明感や存在感を表現できているように思いました。
透明感の表現などは17世紀オランダ絵画に代表される古典的写実技法ですが、それが写真でモノクロームだと多少は現代的な感じがします。
けれど構図的にはまさに“静物画”ですから、古典的な印象はぬぐえません。
とはいえ、無機質なガラス食器にさまざまなアーティストの血が通い、ひとつの世界観が創られているのは面白い試みだと思いました。
結局、スタッフ以外の誰にも会うことなく会場を後にしました。
少しは空に青さが戻っています。
カラスが「カァーカァー」大きな鳴き声をあげながら飛び交っていましたが、いざ写真におさめようとすると、その瞬間が切り取れません。
写真家の人たちはどんなにか時間をかけてその一瞬をファインダー越しに狙っているのでしょうね。
そんなこんなの広島現美訪問でした。
また次回も楽しみにしています。