こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
先週は広島市現代美術館で開催中の【アルフレド・ジャー展】に行ってきました。
涼しくなるのを待っていたらこの時期になってしまったのですが(7月22日から開催)、いゃー行って良かった!
展示数(作品数)は9点と少ないですが、とても見応えがありました。
【アルフレド・ジャー展】の開催とヒロシマ賞について
そもそもこの企画は、アルフレド・ジャーが第11回ヒロシマ賞を受賞したことに合わせて2020年に予定されていました。
ところが折からのコロナ禍。開催は延期となり、美術館の改修工事も始まったため、リニューアルを待って2023年夏の開催に。
ヒロシマ賞というのは、世界最初の被爆地である広島市が1989年に創設した賞で、世界の恒久平和と人類の繁栄を願う「ヒロシマの心」を美術を通して世界へ訴えることを目的としています。
創設以来3年に一度授与されてきましたが、今回のアルフレド・ジャーがその第11回目の受賞者です。
私は現代美術は好きですが、アーティストには疎く、広島現美のサイトなどでにわか勉強。
なんでもアルフレド・ジャーは1956年、チリのサンティアゴ生まれで、チリ大学で建築や映像制作を学んだ後、26歳で渡米し、以後ニューヨークを拠点にしているそうです。
ジャーの作品について広島現美のサイトでは次のような説明がなされていました。
アルフレド・ジャーは、一貫して世界各地で起きた歴史的な事件や悲劇、社会的な不均衡に対して、綿密な調査に基づくジャーナリスティックな視点を持ちながら対峙してきました。その作品は、写真、映像、さらには建築的な空間造形を伴った、五感に訴えかけるようなインスタレーションを特徴としています。
確かに、今回の企画展で私が一番強く感じたのは作品の訴求力です。
現代美術というと難解なものが多いですが、ジャーの作品は分かりやすく、直球で訴えかけられた気がしました。
われらの狂気を生き延びる道を教えよ
まず最初は、広島現美に入ってすぐ左の回廊にある作品「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」
この言葉は、大江健三郎の短編集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』から来ていて、ジャーが1995年に広島現美で行われた被爆50周年記念展「ヒロシマ以後」に参加した際、大江健三郎とその息子・光について知ったことがきっかけとなりました。
英文では「Teach us to outgrow our madoness」。
この一節はもともと、大江がオーデンの詩の一節を訳したもので、彼の手にかかると「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」になるわけですね。
なぜこの言葉を選んだかについて、ジャーは【Tokyo Art Beat】の記事で次のように語っています。
大江さんは、「自分たちの世代は失敗してしまったが、核の時代を生き延びる道を示すことができるのは息子たち(未来の子供たち)であり、変えていってほしいというメッセージを示しました」としています。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/alfredo-jaar-hiroshima-report-202307
(アルフレド・ジャーの本格的な個展が広島で初開催。「第11回ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展」(広島市現代美術館)レポート)
未来に託しているのですね。
今回の企画展でも学芸員さんやスタッフの方々がとても親切で、「撮影はOKですか?」とお尋ねしたら「動画でなければ大丈夫ですよ、一部の作品はできないものもありますが」とのこと。
その後「存命中の作家さんは撮影許可されることが多い」とか、そんな会話を短時間ですが楽しみながらさせていただいたり、私はやはり広島現美が大好きです。
お客さん(来場者)が少ないのが本当に残念!
広島、長崎、福島
次の作品は3個の壁掛け時計が3つの時間を示しています。
左から8時15分、11時2分、14時46分。
それぞれ広島、長崎への原爆投下、東日本大震災の発生時刻ですね。
よく見ると、長針と短針は停止しているのですが秒針は時を刻み続けていました。会場は暗いのでうっかり見落とすところでした。
この作品では、惨状の後でも世界は「きわめて脆弱な状況にあることに変わりはない」ことが示されています。
確かに今の世界情勢を見ていると人類は惨劇から何も学べていないと言わざるを得ません。
生ましめんかな
次の作品「生ましめんかな」は、もちろん詩人の栗原貞子さんの代表作から来ています。
作品は暗闇の中、121個のニシキ―菅(ガス封入管)がセットされたボードが静かに佇んでいました。
ニシキ―菅というのは、電圧をかけると電極の周りのガスがオレンジ色に発光するため、0~9の数字の電極を封入して表示器として用いられることが多かったそうです。
ほどなくして、ボードには「生ましめんかな」の文字が浮かび上がり、、、それも消え去り、、、次には数字の「9」から「0」へのカウントダウンが始まります。
最後には「0」が上から下に降り注ぐように点滅してこの作品は終わります。
ジャーは本作について、、、
惨劇のなかでも命は生まれるという栗原さんの詩を読み、惨劇を数学的に表したいと思った。数字のカウントダウンは命が消えていく様子、広島と長崎で亡くなった多くの方々を表しています。
と説明しています。(引用元は前述)
ヒロシマ、ヒロシマ
暗い室内での展示が続くため、移動中の通路は係の方が懐中電灯で照らしてくださいます。
こういった気配りも嬉しいですね。
さて次の作品は今回の展示でも一番大規模なものだそうで、学芸員と思われる方が私の所まで来て「この作品は室内の真ん中で見るのが一番なのですよ、そのように設計されています」とのこと。
ふーむ、、、と思いながら私一人なので広い室内の真ん中で立って観賞しました。(椅子はありません)
最初は広島の市街地のドローン撮影映像から始まります。
しばらく見ていると相生橋上空になり、原爆ドーム(赤矢印)が見えてきました。
カメラの視点は原爆ドームの真上で停止し徐々に下降していきます。
すると突然、スクリーンの幕が引き上げられ、画面には原爆ドームの抜け落ちた天蓋なのか、円いサーキュレーターが現れます。
ええっ!と思っているとまた画面が変わり、サーキュレーター(23個)がこちらにめがけて強風を吹き付けてくるのですね。
送風音もかなりです。
椅子が設置されていない理由が分かりました。この風を全身で受けてこその作品です。
実際はもちろんこの比ではないでしょうが、それでも8月6日、8時15分に思いを馳せることができました。
音楽
死の匂いが色濃くたち込めた作品の後は、一変して中庭を利用したパビリオンでの作品となります。
前日の雨のせいで天井から雫がぽたぽたと落ちていて、それが結構大きな音なので思わず「こういう作品なのですか?」と学芸員さんにお尋ねしたら「いえいえ、昨日の雨でこうなっているのですよ」とのこと。
雫の音だけでなく、雨上がり、回復した日差しを通して壁面に映る緑や黄色の影に「輪っか」ができているのも偶然の産物だったようです。
これにはアルフレド・ジャーも驚いたことでしょう。
私がそう言うと学芸員さんも「真夏とはまた日差しの角度や感じが違っていたのですよ」とのこと。
その他にも、中央に位置するモミジは「広島もみじ」と言って常緑であるとか、パビリオン内に流れる82人の赤ちゃんの産声は広島市内の2つの病院の協力を得て録音された、などの話も伺うことができました。
暖かな自然光を浴びながら耳にする産声は「希望」の象徴かもしれません。
100のグエン
パビリオンの緑や黄色がガラス越しに透ける展示室には、「100のグエン」という作品がありました。
グエンというのは、ジャーが1991年に香港の難民収容所で出会ったベトナム人少女の名前で、ジャーはこの時1400枚くらい写真を撮ったそうですが、その中でこの少女の写真だけを残して作品としました。
少女の写真は4枚あって、微妙に表情が変化しています。
最初は微笑んでいるけど、最後は悲しさも見える。頑張って笑おうとしているようにも見える。その表情の変化が胸を打つのですね。
この4枚が1セットとなって(4枚の中での順序を変えながら)ズラーっと並んでいるのを見ると、100枚が全部違う写真より迫ってくるものがあるような気がしました。
現在地球上にはおびただしい数の難民がいてその数は増えるばかり。
ジャーは言います。
「彼らはただの“数”ではなくストーリーのある人間であることを忘れないでほしい」と。
サウンド・オブ・サイレンス
次の蛍光管がまばゆいこちらの作品は、ポスターやフライヤーでご覧いただいても分かるようにかなり大きな作品です。
この作品の横に通路があって、黒幕の中では報道写真家ケビン・カーターによるした有名な写真とそれにまつわるエピソードが動画で紹介されていました。
こちらは撮影禁止です。
やはりまた別の学芸員さんが「まもなく上映が始まりますよ」と教えてくださり、中に入るとまたまた私一人。中央のイスに座って始まるのを待ちました。
この作品は涙なしには見れませんでした。
あまりにも悲惨な状況下では個人ができることには限りがあります。報道写真家のケビンが撮った瘦せ衰えた少女と背後のハゲワシの写真。
ピューリッツァー賞受賞後に押し寄せてきた非難の嵐。写真を撮る以前に少女を助けるべきではなかったか、という人道上から非難ですね。
結局ケビンは自殺するのですが、彼にいったいあの時、何が出来たというのでしょう。
この写真があったからこそ悲惨な状況を世界に知らしめることができました。
「報道か人命か」今思い出しても辛い気持ちが込み上げてきます。
シャドウズ
本展最後の作品「シャドウズ」も同じく報道写真がもとになっています。
オランダの写真家コーエン・ウェッシングの写真をもとに構成されていて、ひとりの農夫が殺害された時の状況と、その死を嘆き悲しむふたりの娘にスポットが当てられています。
2人の娘のシルエットは徐々にまぶしい光を浴びていき、、、
最後には真っ白になります。その残像がしばらくは目に残るほど。
この農夫がなぜ殺害されたのかの説明はなかったのですが、突然の「死」に直面した人間のやり場のない驚き、悲しみがひしひしと伝わってきました。
おわりに
一つ一つの作品を丁寧に見たので、かなりな時間、美術館に居ました。
冒頭でも述べましたように、ジャーの作品はとても分かりやすく、ストレートに訴えてかけてきます。
「ひとつのアイデアにフォーカスするのが大事で、それはミニマリストの美学でもあります」とジャーは述べていますが、このストレートさこそがジャーのジャーたる所以かもしれません。
一歩、外に出るとまだ午後の日差しが眩しかったです。
生と死を考えさせられた「アルフレド・ジャー展」。
会期は残り少なくなってきましたが、まだご覧になっておられない方にはぜひ見ていただきたい素晴らしい企画展でした。