こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
先週は非常勤先の短大が入試で休講!
時間的にも気持ちにもゆとりが出て、かねてより作りたいと思っていたスカートの製作に取りかかりました。
ドリス・ヴァン・ノッテン風の花柄スカート
花柄、派手ですかね?!
私的にはドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)風だと思うのですが(笑)
ドリス・ヴァン・ノッテンというのは1985年にベルギーで始まったラグジュアリーブランドで、デザイナーのドリス・ヴァン・ノッテンは、デザインの源となる「着想」を花などの植物、アート、民族衣装などから得ています。
特に「花」は彼の服作りにおいて重要な役割(着想の源)となっていて、敷地面積がなんと東京ドーム6個分もあるという邸宅の庭で咲き誇っているそうです。すごいですね~。
私はこの10年あまり、ハイブランドのコレクションは情報源として見るだけで購入したことはありません。
ドリス・ヴァン・ノッテンも1枚も持っていませんが、彼は1958年生まれの64歳。まだまだこれからの活躍が期待されるデザイナーです。
直近では、グッチのクリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレが退任したとか、ラフ・シモンズがブランドを終了したとか、そんなニュースがファッション界を騒がせていますが、私としてはこういったニュースには最近、慣れてしまったという感じです。
2018年にフィービー・ファイロがセリーヌを去った時には驚きましたが、慣れとは恐ろしいものです。
ラフ・シモンズは特にメンズが中心だったので、あまりコレクションを見ることはなかったのですが、彼がミウチャ・プラダと組んでプラダの共同クリエイティブディレクターになったと知った時は驚きました。
ラフ・シモンズがクリスチャン・ディオールのクリエイティブディレクターだった時の映画はこちらで紹介しています。
ラフ・シモンズは他にもジル・サンダーや、カルバン・クライン、アディダスなども手掛けていて、自身のブランド「ラフ・シモンズ」もあるし大変だったのかもしれません。
これからはプラダ一本に集中ですかね。
完成した花柄スカートとコーディネート
前置きが長くなりましたが、完成した花柄のスカートがこちらです。
丈は踝(くるぶし)までのロングです。
最初は両サイドにポケットをつけようと思っていたのですが、腰のラインが崩れるので止めました。ポケットがあると何かと手持ち無沙汰にならず格好がつけやすいのですが。
このスカートには今年ZARAのセールで購入した品々を合わせます。
手前の焦げ茶色のセーターは、届いた時、虫食い(穴!)があって返品したのですが、不良品にもかかわらず送料がかかったのが残念でした。
けれどさすがウール100%、薄手でも暖かいです。品質は気に入っていたので再注文しました。
ストールは動物愛護の観点からは完全にアウトですが、リアルファー(毛皮)です。叔母の形見でスエードのコートの襟に付いていました。最高級の黒テン(ロシアンセーブル)です。
ベージュのニットにも合わせてみました。
こちらのニットはウールと化繊の混紡ですが、質感がよく、いわゆる高見え(私の嫌いな表現!笑)するアイテムです。
フード付きのパファー(中綿入り)ベストは、かなりボリューミーなのですが、写真の撮り方が悪く貧相に写ってしまいました。
ブーツは、エディバウアーの日本撤退セールで買ったものです。今年は暖かいのでまだ履いていません。
廃(すた)れていく洋裁技術
スカートは裏地付きで、表と同じ型紙を使っています。
既製品の多くは、コスト(布代と手間)を省くため、ペチコート型の裏地を付け、脇縫い代のすそで表と裏を3~4㎝の輪編みの糸でつないでいます。
安価なスカートの裏地はポリエステルですが、静電気が起こるのと肌なじみが悪いのが欠点です。けれどコストを抑えるためには仕方がないでしょう。既製服でも2~3万円を超えるスカートにはキュプラの裏地が付いています。
キュプラの裏地は静電気が起きず、着用感がポリエステルと違ってしっとり滑らか、快適の一語に尽きます。
もちろん今回の花柄スカートの裏地はキュプラです。少し遊び心を加えて薄ピンクにしてみました。
上の写真のように、表と裏が同型の場合、縫い代同士をとじ合わせる「中とじ」という作業をします。しつけ糸2本で、緩(ゆる)くとじ合わせるのがポイントです。
私は大学が被服学科だったので洋裁は一通り学びました(和裁も教職で必修)。
スカートの製作では、ベルト布は(芯地も)身体の前後の特徴に合わせて癖(くせ)取りし、ファスナーは上げ下ろしの際、下に着ているものを嚙まないよう「向こう当て」を付けるという本格的な仕立てです。
洋裁学校やファッションの専門学校に行かれた方も、同じようにオートクチュール(注文服)の技法を学ばれたことと思います。
家政系の大学や短大、洋裁学校が激減した今、このような技術は廃れていく一方でしょう。
服作りを通して、色彩やプロポーションのバランス感覚も磨かれていましたが、時代の流れとはいえ残念な気がします。
既製服が当たり前の時代にあっては「服を手作り」というのは余程の凝り性、絶滅危惧種かもしれません。
おせち料理も予約購入の時代ですから。