こんにちは。大人のおしゃれ塾、田中です。
一昨日は思い立って、上幟町の広島県立美術館に行ってみました。
広島県立美術館というと、伝統工芸展や県美展のイメージが強いですが、今回は現代アートです。
現代アートといえば広島市現代美術館ですが、広島現美は現在改修中。そのせいもあるのでしょうか、今回は広島県美での開催となっています。
いつも館内から見える縮景園が美しいです。
平日の午前だからでしょうか、館内はひっそりしていました。
『現代アートの100年』展
『現代アートの100年』展の会場は3階です。
展示の構成は・・・
第1章 近代から現代へ―20世紀美術のはじまり
ここではポール・セザンヌやマルセル・デュシャンが、後の芸術家たちに如何に大きな影響を与えたかが伝えられていました。
「後世こそ、観客です。私の考えでは、同時代の観客というのは価値がありません。」とマルセル・デュシャンは述べています。
真の芸術は、同時代の人々には理解されない孤高の精神を秘めているのかもしれませんね。
第2章 前衛の波、イズムの連鎖―戦後美術の流れ
ここではアンディー・ウォーホルや草間彌生など、よく知られたアーティストの作品が目につきました。
発表当時は時代の最先端であった作品も、時を経るとレトロな味わいとなるのは皮肉なものです。
途中の通路からは2階が見下ろせます。2階では所蔵作品展(名品の森Ⅱ)が催されていました。
第3章 理性を超えて―1980年以降、時代を写し取る作家たち
第3章では、一見、写真と見まがうような絵画や、自由な発想、切り口の作品が並んでいました。
なかでも私がいちばん好きだったのがヤン・ファーブルの『フランダースの戦士』です。
写真撮影はできなかったので、ご紹介できないのが残念ですが、ブロンズの鎧(よろい)をつけた耳の長い動物が、なんと玉虫からできているのです。緑色の玉虫(昆虫)で戦士の表面が埋め尽くされています。
「ヤン・ファーブルのフランダースの戦士」で検索していただければ、すぐに画像が出てきますのでご覧ください。
ここで画像をどこかから「お借り」すれば話は早いのですが、許可を得てもいないのに「お借りしました」と使用するのは、引用元を明らかにしても違法です。
「ヤン・ファーブルのフランダースの戦士」の画像は、なぜかネット上では玉虫が「黒っぽく」写っています。
けれど実際は目にも鮮やかな緑です。玉虫の光沢も生きているように輝いています。
作者のヤン・ファーブルは『ファーブルの昆虫記』のジャン=アンリ・ファーブルの祖孫なのだそうです。
彼の作品には玉虫を使ったワンピースとか、玉虫を使った何々とか、昆虫尽くしの作品がたくさんあります。血は争えないというか、妙なところでも感心してしまいました。
第4章 日本発、アートの多様性―80年代から現在まで
ここでは奈良美智の『長い長い長い夜』(写真)や、森村泰昌の『肖像(ゴッホ)』など18人の日本人作家の展示がありました。
奈良美智の切れ長で「やぶにらみ」な目のキャラクターが可愛いです。
今回の作品展で唯一、写真撮影が許可されていたのが、塩田千春の『トラウマ/日常』です。
さて、写真を撮ろうと思ったら、なんと監視員さんの手荷物が写真に写り込むのです。それも赤い手さげ袋と大きな化粧ポーチ!椅子の下に置いているのですね。
「写真に写りますので」とお願いしたら、ちょっと移動させてくれましたが、それでも写っています。何で手荷物が必要なのでしょうか。
塩田千春の『トラウマ/日常』
気を取り直して作品の鑑賞です(笑)
壁面には下記のようなキャプションが添えられていました。
糸はもつれ、絡まり、切れ、解ける。
それは、まるで人間関係を表すように、私の心をいつも映し出す。
塩田作品には「糸」がよく使われます。
彼女の作品は、コロナ前に東京の森美術館で見ました。
その時のブログかこちらです。写真も4点あげてますので是非ごらんになってください。ドラマティックな作品群です。(塩田千春展:魂がふるえる)
鑑賞後のハプニング
ここまで見てきたら、急に呼吸が苦しくなってきました。暗い照明の下、作品解説を読んだり作品を見たりを繰り返したせいかもしれません。
目眩もしてきて、ここで倒れたらまずいと思い、ひとまずソファーへ。それでも空気が薄い感じがして、屋外に出た方がよいような気がしました。
外に出ると急に元気が戻ってきました。やはり外の空気は違います。
帰りのバスも窓が開け放ってあったので良かったです。
美術館前(縮景園)から家まで、バスを乗り継げば歩かずに帰れます。
一人で美術館に行ってみようと張り切って出かけましたが、途中で気分が悪くなったのがとてもショックでした。
私はいつになったら大丈夫になるのだろうと、ついつい考えてしまいます。
けれど無事、家に帰れたし、落ち着いて対処できた気もします。良かったとしましょう。